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ブラックマヨネーズ:黒歴史そしてマヨネーズ

3000文字チャレンジマヨネーズのアイキャッチブログ

このブログをお読みになってくださる方へ
3000文字チャレンジという公式があり、週に1つお題がでます。そのお題にそって、3000文字以上で自由に書くことがこのチャレンジの目的です。写真や画像、動画、文字の修飾もできません。
エッセイ、小説、どんな形式でもかまいませんが、使えるものは文字だけです。ただただ文字で表現するブログを楽しみたい方、お気に入りのブログを見つけてください。

今回のお題は「マヨネーズ」(2020/7/2)


マヨネーズと聞いて、思いついたのは「マヨラー」…1990年代の後半から「なんとかラー」って言葉が根付き始めたんだよね。
『現代用語の基礎知識1998年版』に若者言葉で載ったくらいだから、まあ、今も普通に使える言葉になったらしい。


安室奈美恵のファン「アムラー」、篠原ともえのファン「シノラー」・・・髪型やファッションまで同じにしていかに自分が指示しているか、同一化しているか、そんな風潮が流行って、早20年!!


「キティラー」ってのもあったね。お部屋中キティちゃんでいっぱい!持ち物だけじゃなくて、家電や果ては車までキティバージョンつうのもあって白目だったわ。

で・・・マヨネーズ好きの人はご飯やカップラーメン、プリン、炒飯などありとあらゆるものにマヨネーズをかけ新食感を楽しんだり生み出したりしたんだよね。


時には激しく後悔してるレポもあってさ・・・。うぷぷw

でも、最近のマヨネーズがバラエティに富んで色々なベースで製造されてるマヨネーズが増えたからだと思うの。というのも私は子供の頃、マヨネーズが大っきらいだった。
給食でマヨネーズの小袋が付くと完無視。何もつけないサラダを食べていた。


というのも、まだその頃って「酸っぱい!!」としか思えなかったから。マヨネーズ好きな子の方が多かったんじゃないかと思うけど、無理!家でも絶対かけなかった。


そんな私のお供といえば、ウスターソース一択!!あ、お寿司や刺身につける醤油や卵かけご飯の醤油は別ね。あとは、天ぷらでもウスターソースかけてたなあ。


今思うと幼稚園のころは意外と身体が弱くて、病名ははっきり覚えてないけど腎臓の病気をしたんだっけ。それで、味付けの薄いものばかり食べてて味変させるようなことはしていなかった。お漬物も食べなかったし、それで偏食気味だったのかもしれない。


そのせいか、小学校時代は食が細くて給食が少し辛かった。あとマヨネーズってサラダにかけると最後の方はサラダから出る水分と合わさって、水の混じったマヨネーズ化するのがどうにも不味く思えて苦手だったね。



水分の中にマヨネーズが薄く漂って、キャベツのコールスローなんて出た日は憂鬱だしひたすらガマンで食べてたわ。とにかく子供のころはマヨネーズがダメだった。
ポテトサラダくらいしか美味しいと思えなかったのよね。



でも家庭科で調味料の勉強をした時、マヨネーズやドレッシングは水と油で本来混ざりあうものではないけれど、お酢や卵で混ざり合うって聞いたのが印象に残っている。
合わないものを乳化で安定させて美味しい味に変える・・・。色々考えるんだなあと。

小学校を卒業して中学校はお弁当だったので、そのままマヨネーズかけない10代を過ごした私。
次にカルチャーショックを受けたのは大学1年で寮に入った時。


これがまたひどいオンボロ寮で、大学はまあまあ歴史があるんだけど、寮もきっとそのまま・・・もしかしたら、教室だったものを改築したんじゃないかと思うしろもの。


しかもその大学ってなぜか学食がない!!高校からの内部進学か、地方出身者(たいがいそうだけど)内部進学者も都内の近い子ばかり。そういう子は弁当持参で、どっか広いピロテイで食べてたね。どこがキャンパスライフだ。

で、学食がないから寮生には毎日袋に小分けした食パン2枚、そしてあの「マヨネーズ」が与えられる。え、なんでマヨネーズなの!?ジャムとかじゃん、普通。愕然・呆然としてたら、同じ部屋の先輩が食パンにマヨネーズを塗って、トーストして食すのだ、と教えてくれた。餌かっ!


いやいやいや、そんな食べ方知らない!今じゃ普通なんだろうけど、私には初耳だったのよ。仕方ないので、生まれて初めて同じようにして・・・食べたよ。


どうだったと思う?え、美味しいじゃん!意外!・・・なんて思った・・・わけないじゃん。しょっぱくてマヨネーズくさいだけでした、ええ。これ、私の味覚がおかしいんでしょうか。


でもね、東京行って初めてピザ食べた時は衝撃だったのよ。ピザも美味しそうに見えなかったけど、あれは美味しかった!!これは東京来たかいがあった!


で、さっきの続きだけどみんな始めはマヨネーズ嫌いじゃなくても、毎日だから飽きるじゃん。だもんで、ジャムやバター買ってきてたりしてたけど、しまいには食パンに嫌気がさすのよね。で、寮の食堂のゴミ箱に怒りと共に食パンぶちこんで山のような食パンゴミが築かれたわけ。


そしたら、寮の管理人が怒り出して(まあ、当然だけど)食堂に全員集合って事態になったんだけど、結局ゴミにしちゃうのよね、飽きるし1年で出る子が多いから、怒られようが平気。

オンボロなくせにやたら厳しい規則の寮生活に1年耐えて、2年生からアパート借りた時はせいせいした・・・。しかし、この大学って本当は入りたくなかった。
でもなぜ入ったか。インターハイで高校の監督と大学の監督がちょっと話して、成績も良かったからその場で推薦入学のOKが出たんだけれど・・・。



ところが。とある国立大に行きたいなー、って受験に目覚めてしまった。それが高校3年の秋・・・遅すぎね?でも、進路は自分で決めたいし、辞退したからって、高校とその大学は亀裂が入るようなヤワな関係じゃない。



そう思って親に1浪させてくれって言ったら、この大学に決まってるのになんだとか、部活の顧問に申し訳が立たないだの、1浪なんて世間体が悪いだの言われ、しまいにビンタされて、泣く泣く国立大受験をあきらめた。



実はうちは今でいう機能不全家族で、絶賛家庭内離婚中なのに父親は体裁保つのに必死だったから、父親の描くとおりにしないと素直じゃないだの、寂しさから反抗的になってるだけだろうだの、1言うと100返ってきて、もうあきらめと絶望しかなかった。



そんな過程で行ったから、目標もないし頑張ろうとか思えず、自分にとって意味もなく大学生活送っていた。まあ、それなりに楽しいことはあったよ。贅沢なんだろうか?でも、もうそれとは別に限界ギリギリの精神状態で毎日過ごし、ある出来事がきっかけで結局4年生の始めに、大学に行く気力がなくなってしまった。



このころの自分って感情が無かった。感情を持つと自分の家庭環境を恨んだりやけになってしまいそうだったけれど、それで自分の価値を下げたくなかったんだろうと思う。グレたところで親の仲がもとに戻るわけでもなく、殴られるのがわかっていた。
高校じゃ運動も勉強もできて、いい生徒という評判も落としたくなかった。ずるいだろうか?



高校は勉強も部活も楽しくはあっても、どこか冷めきった自分がいて、家に帰れば泣いてもわめいても何も変わらないことが分かり切っている。無駄なことするんじゃないと抑え込んで生きていた。人間抑え込みすぎると何も感じなくなるらしい。泣くことも無くなっていた。

実家に戻ることもせず、東京で自分で仕事を探してしばらく独りで暮らした。でもこの時間があったから、今なんとか普通に生きていられる。これが良くも悪くも自分の転機になった。ただこの後遺症のせいか、今も一人の時間や一人旅でもしないと、自分が壊れそうに思う時がある。



自由な一人暮らしだったけど贅沢は出来ないし、自炊しているうちに色々これまで作ったことのない料理もした。その頃、グラタンやポテサラを作っているうちになんとなく、マヨネーズが食べられるようになったと思う。



グラタンなんぞ、母親は作り方知らなかったし父親も好きではなかったから、実家で食べたり作ったことがなかった。コブサラダとか初めて自分で作ってみて、マヨネーズをかけた方が美味しいことも知った。



大学を勝手にやめてアパートを変え実家に連絡もせず、はっきり言って黒歴史なんだけど、今もそれ自体を親に謝ろうとは思わない。(意外と早逝だったし)むしろ今でも謝ってほしい。実家に帰ってからも、親は私の本当の気持ちは理解できていなかった。でも今ではそれも仕方ないのだろうと思ってあげている。



対面を保つために子供の生き方をコントロールしようとして、失敗した父親。家事なんぞ一切しなくなって家にいただけの母親。
そういう親自身が、子供が人並みに恋愛したり結婚をしたくなっても、自分たちが障害になりかねないって思わなかったのだろうか。いや、わかっていたらこんな家庭になってないだろう。



年齢を重ねるにつれて、子供が家庭を持つ時が来たら何が起こるのかと想像したり、人を好きになったら、そんな悩みが芽生えるなんて思いやりもしなかっただろう。
まだ大学生の頃、言われたことがある。



兄がいたけれど、父親と折り合いが悪く東京で就職して以来かえってこない。そんな兄に見切りをつけ、私に
「婿養子を選んでやるから、お前は家で暮らせよ」と。
すると母親はこう言い放った。
「お手伝いがいるようなお金持ちの家に嫁がせないと、私みたいに苦労するわよ」

ちょっと、あなた、私が小学校卒業したら家事いっさい放棄して家でブラブラして何してくれたの。父親が怒って生活費渡さなくなったら、ツケで買い物しまくってお金持って謝りに行ったの、私なんだけど。みんなの食事や洗濯したの私なんだけど。私はあなたのお手伝いじゃない。
まずこんな母親がいる家に誰が養子にくるものか。



そして父親の
「お前は俺の言う通りにすれば母親みたいにならない。幸せになれる」という言葉。
子供可愛いが暴走すると、可愛いを通り越してただの道具になる。身をもって私は学んだ。



私は一生を親に支配されないといけないのか。自分の感情も何もかも押し殺したまま生きるのか。勉強と部活と家事だけに明け暮れた青春がなんと味気なかったか。もし養子なんぞ来ようものなら、また両親の世話をやらされるのか。自分自身を殺されてしまう。



好きな相手がいても、自分の背後にある家庭が私を罪悪感で苛ませる。この人は私の実家がこんな状態でも受け入れてくれるのか。正直に告白したら終わるんじゃないか。言えないままの自分に罪悪感を持つ。自分の責任でもないのに。



そう思い詰めて結局一度逃げ出すことを選択した。もう自分で仕事は探せるし、仕事さえあればとりあえず生きていける。自分を取り戻すことが必要だった。



父親はそこそこいい会社でしかも重役だったので、大変な恥をかいただろう。でも、子供は親とは違う人間だ。両親がよく知らない同士でお見合いをし、無理して結婚したら結果として合わなかった。それも今は理解してあげられるけど。



お見合いでも結婚したら、そこをどう折り合って家族の気持ちが離れないために、もっと考えるべきだったんじゃない?昔はお見合いでもそれなりに普通に家庭を築いていける人が多かったんだから。
マヨネーズやドレッシングみたいにうまく混ぜ合って・・・。



それでも無理なら離れても良かったんだよ・・・。


私は何も感じない自分と正直な自分、水と油に分かれていた自分自身を混ぜ合わせて、やっと感情を取り戻すことが一応できたんじゃないか・・・と思っている。


#3000文字チャレンジ
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