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スキルス胃がんと闘った兄のこと:闘病記vol.1

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平成から令和へ元号が変わろうと世の中が盛り上がる30分前、私の兄はスキルス

胃がんから転移性髄膜癌種症による急変で、旅立って行きました。

50代とまだ若い年齢で去ってしまった兄。子供の頃は仲が良く面倒見の良い兄でした。

この兄のことを忘れるにしのびなく、せっかくブログを始めたので兄のことを書き留める

ことをお許しください。

青天の霹靂 兄からの突然のメール

平成29年8月6日、滅多に自分から連絡のない兄からメールが来ました。

そこには、こう書かれていました。

『ご無沙汰しています。6月末から腹部の様子がおかしくなり、検査を受けたところ、

昨日胃がんと判明しました。詳細は生検の結果が出る8/16にわかりましたら、ご報告

します。』

一瞬驚きましたが、慌てた様子の返事をしてはいけないと思い

『驚いたけど、夜勤が多い人は胃がんになりやすいと聞いていたので、冷静に受け止めて

ます。結果は連絡くださいね。進んでいないことを祈ります。連絡待ってます。』

そう返事をしました。

8月17日

『こんばんは。こちらは胃の内壁からは癌細胞は出ませんでした。ヤブ医者め。

もう一度内視鏡で生検をします。また連絡します。』

このメールでいったん落ち着きましたが、不安は消えませんでした。その後・・・

8月21日

『本日8/21、大学病院にて再度内視鏡検査を受け

ましたので、ご連絡します。やはり、内壁には癌の

兆候は見られません。

しかし胃の真ん中辺りが狭窄が進み、胃が

ひょうたんの形になっていました。

このまま進み塞がる危険性も考えられます。

生体検査のため6箇所採取しましたが、結果が出る前に入院することになりました。

9/1から1カ月の予定です。

進行癌(スキルス)であること。播種をおこしていること。も入院を急ぐ理由です。

詳細情報はまだ不明です。こちらの事ばかりですみませんが、よろしくお願いします。』

血の気が引くとはこのことです。よりによってスキルス胃がん!!そして腹膜播種も起こ

している。あと何年も生きられない・・・病院に勤めたことのある私はその事実は

知識として理解できても、受け止められません。

まさかよりにもよって自分の兄が、としか思えませんでした。

兄はこの宣告をどんな思いで聞いたでしょう。

私は胸がざわつき、身の置き所がない、いわれのないほどの恐怖心を覚えました。

父母はとうに他界しています。その時の気持ちと全く違うのです。自分の家庭もあり

子供もいるのに、血肉を分けた兄弟の死が身近になったということ。

こんなにも早く自分の存在・自分の細胞と近い者がいなくなる、実家が全滅するという

ことはこういう気持ちなのでしょうか。一個の生命体として細胞を同じくする者が消える

恐怖感。そして人として、私が築いた家族より、ある意味遠慮なく本音で語りあえる存在が

いなくなるいう、孤独への恐怖だったのかもしれません。

スキルス胃がんとは

通常思い浮かべる胃がんとは、例えば健康診断で内視鏡検査などを受けポリープがある、

言われたり、粘膜が発赤して異常が見受けられるという経過で発見されることが

多いです。

しかし、スキルス胃がんは粘膜には病変がほとんど見えず、胃の筋肉の層を這うように

広がり、発見されたときは手術が出来ない状態になっていることが多いのです。

胃がんの中には、胃の壁を硬く厚くさせながら広がっていくタイプがあり、これを
スキルス胃がんといいます。早期のスキルス胃がんは内視鏡検査で見つけることが
難しいことから、症状があらわれて見つかったときには進行していることが多く、
治りにくいがんです。
引用: 国立がん研究センター ・がん情報サービス

がんについてはよく【5年生存率】という言葉が使われます。

これは、がんと診断されてから、がんに対する治療成績を表す指標のひとつです。

がんの診断時の進行度や部位、がんの種類や病年齢、地域性、統計の母集団の特性

(患者の平均年齢、発見方法、診断した病院の種別など)

で信頼度にややばらつきもありますが、目安として使われています。

スキルス胃がんの5年生存率は7%くらいと、非常に低いのです。

発見しにくく診断が難しく、見つかった時はたいてい腹膜播種を起こして手術不能が多い

非常にやっかいながんです。

いざお見舞いに!

9月10・11・12日の2泊3日で東京の兄のお見舞いに出かけることにしました。

9月10日:お見舞い1日目

3年ぶりの再会がお見舞いとは・・・。胸が痛む思いでしたが、暗い顔をしてはいけない。

そう言い聞かせ、入院している部屋へ入りました。

「おっ、来たか。悪いなあ。空港への到着はこれでわかったよ。」

ニコニコして私を迎えた兄の顔はやはりほほの肉が落ち、この2か月、まともに食事が

とれていないことは明白でしたが、心配させまいと明るくふるまっていました。

飛行機が空港に到着した時「定刻に無事、着きましたね。美味しい昼ご飯をたべてから

ゆっくり病院に来てください」

とメールが来ました。フライトレーダーアプリで飛行状況を確認していたそうで、

「これで見ていたんだよ。最近はこんなのもあるんだぜ。」ニンマリ笑う兄。

「えぇー、ホントだ。飛行機が動いてるのがわかる!」普段飛行機など関係ない生活の

私はそんなアプリを知りませんでした。けれども、こうして気にかけてくれる優しさは

いつもの兄と変わりませんでした。まだ6人部屋で会話がほかの人の邪魔になるからと

面会室へ行き、兄弟の会話を始めました。

6月頃から食欲はあるのに、いつもの量が食べられず胃炎と診断されていたこと。

 

胃に痛みはなく、おへその辺りがつるような感覚が続いていたこと。

食べられないことに嫌気がさし8月に無理やり詰め込んだら戻してしまったこと。

胃炎は2か月後も改善せず別のクリニックの触診ですぐ精密検査を受けるよう

いわれたこと。

組織検査で6か所取り、2か所から印鑑細胞がん・未分化型と診断されたこと。

などなど・・・。

スキルス胃がん、病理診断では印鑑細胞がん・未分化型・・・まるで他人事としか

思えない言葉ばかりが出てきます。この最悪な状態にどうやって兄は向き合っていくの

だろう・・・。

冗談を交えながらひょうひょうと語るいつもの兄でしたが、腕には点滴、がんとの闘いは

始まったばかりです。「うん、うん」と真剣に聞き、うなずくしかできません。

病院を後にしてホテルに向かう時も久しぶりの東京というのに何の感情も湧かず、せめて

副作用くらいは軽くあってほしいと願いました。

9月11日:お見舞い2日目

午前は診療の都合で面会できないため、食べられそうなものを探しました。

胃の狭窄のため固形食はとれません。食事は具のないスープやジュースだけでした。

チューブパウチで吸える無添加のみかんゼリーやにんじんゼリーを見つけて買いました。

病院に着く時間を伝えておくとエレベーター前の面会室で待っていてくれました。

「気分や調子はどう?副作用とか出てないの?」

「それが説明されたより出てないんだよ。不思議だよな、おかげで楽だけど」

二人の写メを撮ったり家族の様子などとりとめのない話をし、主治医の話を聞く時間に

なりました。

簡単な自己紹介のあと、先生の説明が始まりました。

兄はすでに聞いていますが同席しました。

・かかりつけ医からの紹介で、CT、内視鏡検査、病理組織検査、腫瘍マーカーを
実施したこと。
・CTで胃の真ん中あたりに狭窄が見られ検査時には食物の通り道が親指くらいの空間しかなく、硬いので胃壁が伸びない状態。(つまり消化運動ができない)
・腹部にも薄く米粒のような影が認められ、腹膜播種と診断。腹水も少し溜まっている状態である。
・手術は勧められず、標準治療として化学療法(抗がん剤)を始めていること。
・未分化がんであり、これはがんとしては状態が悪いものであること。
・化学療法においては副作用の軽減に努めて対処していくこと。

以上の内容を淡々と説明してくれました。淡々とした語り口でしたが、時折考え込み

今後の治療の難しさとどう対処するか、先生の頭の中でもグルグル回っている印象でした。

「何か質問はありませんか」と聞かれました。私もこの病気がいかに治療が難しいかは

わかります。質問と言われても聞くべきことが見つかりません。

けれども、回らない頭で無理やり絞り出した質問は、「狭窄部にステントを入れることは

できますか?それともバイパス手術などはどうでしょうか。」ハッキリ言ってくだらない

質問です。わかっていますが。

先生は、「ステントは入れられますが、効果的ではありません。抗がん剤の効き方に

よっては胃壁が柔らかく広がって、今この狭窄部に入れても役に立たなくなります。

もしその部分のがんがそのまま増殖すればステントを巻き込んでしまうと思います。

それからバイパス手術ですが、腹膜播種がありますので、それが原因で腸閉塞を起こす

ことも考えられます。根治手術なら胃全摘して切ることも考えますが、胃だけでなく、

腹膜播種もあるし、お兄さんの体力も考慮すると手術は勧められません。」

「そうですよね・・・わかりました。」

「このタイプのがんでおわかりだとは思いますが、5年生存率も高くはありません。

けれど5年以上生きている方もいらっしゃいます。お兄さんに合う抗がん剤や治療を

僕たちも頑張って探します。うまく付き合いながら、治療しながら長く生活できるように

します。今回は標準治療の第1段階です。手術を勧めないのは、まず胃のがんがかなり

硬くなっています。こちらを先に抗がん剤で何とかしないと、先に胃が塞がります。」

それから続けて

「分子標的治療という方法もありますが、その検査もやります。ただこれはこの治療薬方に

合う特定のたんぱく質に対して効果が期待できるもので、うまく合う患者さんが10人に

2~3人と低い割合です。検査でこの薬が効くことがわかればいいですが。

とにかくできる治療はやりたいと思います。」そう言いました。

誠実に説明してくれる先生に私は、「副作用も出てくると思いますが、できる限り苦しく

ならないように対応してください。

これからもお世話になります。よろしくお願いします。」

そんなことくらいしか言えませんでした。先生の説明では手術前の抗がん剤治療という

わけではないらしく、結構進行しているようで、厳しい状況だと思いました。

5年後はどうだろう・・・。生きていてほしい。

副作用で苦しい思いは少なくしてほしい、頭の中はそれだけでいっぱいでした。

胃がんと腸閉塞の因果関係
・手術をした場合、麻酔薬の影響で腸の動きが弱くなり排便、排ガス
 しにくくなる
・合併症として腸の機能が劣る(麻痺)ことで腸閉塞をおこしやすい
・腹膜播種があると腹膜炎や癒着をおこしやすく、それにより腸閉塞になる
・術後何年か経過しても抗がん剤などで腸機能は衰えやすく、腸閉塞を
 おこしやすい

がんの進行が進んでいなくてもリスクは高いようです。ましてや腹膜播種があれば、

なおさら危険度が増すでしょう。

9月12日:お見舞い3日目

今日は帰らなければいけません。午後の飛行機の時間から逆算して、特別に午前中にも

面会許可をもらいました。飲み薬のTS-1と合わせたシスプラチンの点滴をしています。

抗がん剤は薬といっても正常な細胞も攻撃するので、ある意味毒でもあります。

しっかり排出もしなければいけません。そのため腎臓に負担がかかるので、たくさんの

生理食塩水も点滴します。午前中はその点滴中でした。

「吐き気とかはないの?」「意外と無くて大丈夫だよ。お腹もすくし。でも食べられない

からなあ。そうそう、昨日もらったゼリー、おいしかったよ。ありがとうな」

こんな程度の話しかできません。

「たまたまがん保険にはいっていたからなあ、これで少しは助かってる。」

「うん、よく入ってたもんだよね。副作用があまりなくて少し安心した。

薬が効くといいね。そういえば、仕事はどうしてる?」

「それも運が良くて退院したらまた勤めにいけるんだよ。

「ほんと!?じゃ良かったね。いい職場に行けてよかった。」

兄は若いころ勤めていた会社が倒産してからというもの、リーマンショックがあったりで

ずっと非正規。夜勤や好みでない仕事も続けてきましたが、やっとやりたい仕事に就けた

ところでした。

その矢先がんが発覚したのは不運ですが、それでも辞めずにいられることは、今後の希望

にもなるでしょう。病気とつきあうだけでなく、社会に関わり、やりたい仕事をやれる

ことは生きようと思う気持ちにもつながります。

淡々と話しをする兄。心の中では仕方ないと思いながら、なんでよりによって自分が・・・

そんな思いでいっぱいだったと思います。表に出さない分話に詰まりそうになりましたが、

私が黙り込んだり、心配な顔をしては兄の気持ちに負担をかけます。

本当にとりとめのないおしゃべりだけで、病院を去る時間になりました。

「そろそろ時間だから行くね。副作用が出てしんどかったら、すぐ看護師さんに言うように。」

「おう、わかってる。」

「変わったことがあったら連絡してよ。薬が効いて早く退院してね。」

「うん。もう退屈してるからな。」「退院の連絡も絶対してね。元気でね。」

「ああ、もうわかったから、そろそろ出ろよ。気をつけて帰れよ。」

「思ったより元気そうで安心した。顔が見られてよかったし。じゃあ、帰るからね、

バイバイ」「おう、気をつけてな。ありがとう。」

エレベーターの前で手を振り笑顔で送ってくれました。

あと何回会えるだろう・・・。

これからどうなるだろう。

そんなことを思いながら、精一杯の笑顔を作り手を

振りました。

東京と香川、遠く離れたところから無事を願うしか

ありません。

 

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